詩 の 箱


流れるごとく書けよ


田と詩

             永瀬清子

二反の田と五寸のペンが私に残った。

詩を書いて得たお金で 私は脱穀機や荷車を買った。

もうどちらがなくても成り立たないのだ。

私の詩は農繁期に最も多く降ってくるのだ。

しばらく田に出ないでいると何も書けなくなるのだ。

牙のある動物が牙をとぐように

田で働かなくては書けなくなるのだ。

 



さえずり

             永瀬清子

春が来た、れんぎょが咲いた

いざ詩を書こう

夏はまぶしい

冬は凍みる。

老いた私が

どこも辛くなしに書ける時はいま、いまだけ。

だから私は小鳥と同じ。

わが詩は あれらのさえずりと同じ。

 

 

「さえずり」は1990年1月15日、手帖舎から発行された

双書現代詩一千行「卑弥呼よ卑弥呼」の冒頭に収められています。

 

表紙を開くと見開きに、清子と懇意だった(故)藤田えり子さん

へのサインが入っていました。

 

詩集は、藤田さんと親しかった方から

「在るべき処へ」と寄贈して下さったものです。

 

 


何がピークか

            永瀬清子

ある人にとってピークとは

今 波に消え去ろうとする砂の上の足跡かもしれぬ、

或いは壁の上のむなしい黒帽子かもしれぬ。

人々は考える。

ピークとはロッキードの事だ、米価の事だと。

けれど、今みえなくなる足跡かもしれぬ、帰ってこぬ人の帽子かもしれぬ。

ピークとは心の上のバロメーターにのみ しるされ、

新聞活字の大きさではない。

 

                 短章集2  「流れる髪」


女詩人の手帳(1952年)

       序文より       永瀬清子

夜明けの二時

カシオペアの高い時

いつも私は起きあがる

カシオペアよりもメジュッサのように苦しげな顔をして

ほのぐらい蝋燭の光で書きはじめる

惡い神にとりつかれて

夜が朝にかわるまで

見知らぬ所へ流れてゆく河のように

季節が来て散りとゞまらぬ樹のように。


詩についての三章

a 詩の策略

 

   永瀬清子

 

小さな短い私の詩、ぽっちりしたその詩に一度出あってから

その人は私を探してくれた。

足跡の僅かな特徴で

山路に鹿をみつける人のように

その歩巾で跳びやすい その脚をみわける人のように

彼は山じゅう駆けまわって

私の詩をみつけてくれたのだ。

私を捕まえてつれ帰ったその人は

その時以来、私がもっといい詩を書くように はげまし育ててくれた。

けれどもそれは無理だった

その時詩は はずかしがって出て来なかった。

雛ではなかったから卵も産まず、兎のようにふえもしなかった。

失望のうちに彼が逝ってしまったとき

やっと私は詩らしい詩を書きはじめた。

落胆していった彼を想って、慰めにくい彼をしのんで―――

なぜかと云えばそれ位、詩には気ままと孤独が要ったからだ。

そして彼の期待した立派な鋳型の外側に

私の詩はあったからだ。

 

その人は私のために かけがえのない人だったのだが、

その事は彼が死んでから やっと私はわかった。

それが どうにも致し方のない詩の策略だったのだ。

 

 


この「詩の策略」は1980年思潮社より発行された短章集3「焰に薪を」に収録されています。

その帯文は、吉原幸子さんが現代詩手帖に書かれていたものが使われているようです。


彼女は何の変哲もない事物の中からキラリと新しい発見をきりとってくる。

それこそが詩だ。そしてその発見は、小さな、見過ごされやすいものであればあるほど――

あえていえば巨視的であるよりはむしろ微視的な<足もとの青い草>の中から拾い出された

ものであればあるほど、彼女独自の輝きを放つように私には思われる。

 

                             吉原幸子

 

 



 斜 視

 

  永瀬清子

 

「早く早く、あの夕焼けをみてごらん。あんなにきれいな夕焼け。」

と姉娘の菜穂子が弟をせきたてた。

 連平は自分の仕事に――木片で小さな電車をつくることに――

一心だったので見むきもせずに、しかし答えだけは いっぱし理屈っぽく答えた。

「いいよ。僕はみなくても。          

 見てもほかの人のようには見えないのだから。僕は斜視(ひがら)なんだから」

 

私はびくっとした。一度も聞かせないようにしていたその言葉。

「斜視(ひがら)? 誰がそんな事云ったの。学校のお友達?」

幼い子供はさびしそうにこっくりした。

 「そんな事考えるんじゃないよ。あなたはみんなと同じにみえるんだから」

「ほんと!」と彼は板ぎれを投げすてて立ち上がりながら叫んだ。

 「そうだとも。いつかもっと小さい時に一緒に診てもらいに行ったでしょ。

 あの時先生がおっしゃったもの。

 今はかまわないから、もっと大きくなったら手術もしてあげますって」

「ふうん」と彼はため息をつきながら云った。

 

自分の欠陥の意識やひけ目を、同情のない小さい友達の間で指摘され、すくなくとも小学校へ

いきはじめてから今まで、一人黙って忍んでいた事がはじめて私にはありあり思われた。

「ほんと!」と叫んだ時の、その紅潮した顔を私はいとしく心にきざんだ。

 

然し本当は一人の人の見る物の色や匂いや又その値打、感じとる心、それは果して

他の人と同じかどうか、誰が測りうるのだろうか。

一人の肉体の中の一人の人間、もし錆びていても曲がっていても、それが一つの価値だと

やがていつか教えてやるならば、我が子は再び「ほんと!」と叫ぶであろうか。

 

                      

                    斜視(ひがら):原文のまま

 


この「斜視」は、1977年 思潮社より発行された短章集1「蝶のめいてい」に収録されています。

 その帯文を、石牟礼道子さんが書いておられますので、紹介します。


明日まで生きればもしかして、小さなよい事が訪れるかもしれぬ、そう思い思い、私たちは今夜を死なずにやり過ごす。三十年も五十年も。愚飩なわたしは人よりよっぽど遅れて永瀬清子詩集とこの短章集にめぐり逢えた。そして、何に渇くともしれずさまよい生きるだけの人生の幼な子への、天のごほうびのうるわしさに涙ぐんだ。

 

                                石牟礼道子

 



オリンピック

 

 永瀬清子

記録の中に勝ちとる孤独

記録の中にかぎりない失墜

 

段々をのぼっていって点火した時

いぶりはじめた犠牲の心臓

 

季節はいまや沸騰して

ルールはタイムウオッチにきざまれる。

 

旗は空の碧瑠璃の中に

赤黃緑の祖国の夢を描きつづけ

 

さびしいさびしい故国の高原の風が

黒檀色のふくらはぎにまきつく。

 

勝つのは一人だけ、あとは負けのための

祭りの中の屠殺場、その巨大なコロッセウム

 

吐きだしの精神のきわまった時

追いつめの舌とともにゴール

 

勝つための喝采と

負へのあくたいの等価値

 

選手には顔がない自意識もない

ただ力こぶと腱で吊りあげるメダル

 

花火は空に瞬間留められ

打ちふるハンケチは汗の匂いの靄をつくるが

 

時は忽ち過ぎて花と実は同時に地に散らばり

 

チャスラフスカの青春は今終わった。