永瀬清子の詩を中心に書き残したものを紹介してゆきます。


田と詩

                          蔵の中で眠っていた未開封のインク                         

                       カートリッジに変わった頃に予備としてあったものか?

 

二反の田と五寸のペンが私に残った。

詩を書いて得たお金で 私は脱穀機や荷車を買った。

もうどちらがなくても成り立たないのだ。

私の詩は農繁期に最も多く降ってくるのだ。

しばらく田に出ないでいると何も書けなくなるのだ。

牙のある動物が牙をとぐように

田で働かなくては書けなくなるのだ。


月の輪音頭

                  岡山県美咲町(旧久米郡棚原町飯岡)の月の輪古墳発掘の成功を記念して作られた

                   「月の輪音頭」は作詞:永瀬清子 作曲:箕作秋吉 によりもの。

                    歌詞はH19年に田原清美氏がSPレコードから確認されたものを

                    転記したものです。 

1  月に輪をかく月の輪踊り

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   そろた心が輪に咲いた

   ヤンレ今夜の ひと踊り

 

2  思いだします茨をわけて

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   石に流した あの汗を

   ヤンレなつかし ひと踊り

 

3  鍬をかついで もっこを負うて

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   学ぶ歴史は手とからだ

   ヤンレ先生も ひと踊り

 

4  高い山から谷底見れば

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   月に吉野の瀬が光る

   ヤンレ涼風 ひと踊り  

 

5  遠く近くに友呼び交わし

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   ひびけ つくした心いき

   ヤンレみんなで ひと踊り

 

6  二人揃うて眠りは深い

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   夢は千年つかの間に

   ヤンレ万年 ひと踊り

 

7  はにわ運んで 葺石ふいて

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   稗を食うて穴にねて

   ヤンレ可愛や ひと踊り

 

8  夜霧朝霧 湧く里なれど

  (サッサ踊ろよシャシャントシャント)

   今じゃ天下に名も高い

   ヤンレどうじゃ ひと踊り


鷹の羽

                母親、清子の手で繕われた長男の制服

子供は山で一枚の大きな鳥の羽を拾って来た。

それは美しい不思議な だんだらがあり

あたかも生気にみちた自然からの

飛沫のようにつやつやと光っている。

これはたしかに鷹類の羽にちがいない。

 

富士の見える松の木の高いところに棲んでいる。

目玉のギョロッとした あの鳥のものにちがいない。

風と共に空を翔けり

獲物を発見するや忽ち急降下してくる。

あの壮んな鳥のものにちがいない。

 

お母さんは小さい時に読んだ。

金色の羽を拾ったために数々の冒険に出会う若者の

長い運命的な物語を。

あれは多分スラブの民話だった。

たしかに鷹の羽をみていれば勇敢で冒険的な

矢のように はやる気持ちが湧いてくる。

 

子供よ。

お前は珍しいものを拾って来て 

うんと元気な子になりそうだ。

お母さんの知らない世界を どんどんゆきそうだ。

お母さんに出来なかった事を沢山しそうだ。

頬の紅い子よ

我子よ。

 


絵葉書

「永瀬清子の世界」より


「靴下の傑作」

  - 壺井栄さんの手編 -

 

昭和十年冬の会合で、はじめて壺井繁治さんの隣に座った事があった。

会場は休んでいる寄席の客席で、男の人たちはみなあぐらで座っている中で

壺井さんの靴下が毛糸のすばらしい手編製品である事に私の目がはたととまった。

それは心打つ靴下であった。

きちんと揃った網目、指やかかとの増目へらし目が、履き良さそうに具合よく

また全体が誠実丁寧に作られ、そのバランスもすばらしいものであった。

誰が一体このように親切な作品を作ったものかと、私は感心しつつ

その場のテーマが文字上のリアリズムとロマンチシズムを中心に

現状を批判しているので、とうとうその事は聞くひまなしに別れてしまった。

 

するとそのすぐ直後「新潮」をみていると、小説の新人として壺井栄さんの写真がのって居り

それは日のあたる縁側で、素朴な丸顔の栄さんが編み物をしていられる所で

写真に添えられた文章では

「今まで文学をやる事などすこしも考えず編み物ばかりしていた私は夫が検挙された留守中

佐多稲子さんなど友人に『あなたはきっと書ける人だから』とすすめられ

はじめて創作を書いたのです」という意味が書いてあった。

また本文の創作は「大根の葉」だったと思うが、夫が刑務所にいっている間の事が書いてあり

一夜にして桑の葉が霜に散り落ちる情景が印象に残った。

それらによってまさしく先夜の見事な靴下は、栄夫人の作品である事をさとったのであるが

本当の事を云うと、繁治さんの作品には「なるほど」はあるが「好き好き」の魅力まではない。

彼はあの靴下をはたして越えられるのか、と心の底でふと私は思っていた。

.........................................................................................................(略).....................................

栄さんの良さはすべて手作り仕事のよさで、おいしい味噌汁をつくったりお漬物もよいのがあって

私はよばれては感心した。小説もみるみる評判になっていった。

繁治さんは詩の世界ではそれなりに働かれたが、靴下をどれだけ抜かれたか。

もちろんはじめからこれは困難な比べ方にはちがいない。が、一目で靴下に見とれたことは

まず世の中に珍しい事だったのではないか。

 

 * 壺井栄さんは毛糸の編み物で家計を助けていたそうです。


「都わすれ」

                                     さるとりいばら

 

東京へ帰りたくない?と人がきく

田舎で暮らすことなど到底都会では考えられなかったが

いまの私の藍色の山々で自分をびっしりとりかこみ

小さな自分の田を耕して木埋と方言で暮らしている

東京へいったとて何がある

昔の東京は済んでしまった

会いたいものがなければ行く事はない

ぜひ逢いたいものがあれば会えない方がよい

逢えないためにペンがすすめば田舎の灯の方がよい

ああ東京へいく事はやめよう

 

心のかぎり逢いたいものは戦火とともに逝ってしまった

たとえ都会へ行ったとて時の瀑布はのぼれない

まわりに人が多ければ沈殿物(おり)がたちまよい

自分を透かしてみる事は出来ない

 

あぜの草は土の上にぴったり星型に紅葉し

田舎の空気は燈明に結晶して今まっしろにひびが入っている

私の冬の仕事は田んぼの土おこし

それは次の季節のため

自然のめぐりと同じ位必要なのだ

私のあすの仕事は大盛上山の植林

それは何十年さきのため

自然のめぐりと同じ位必要なのだ

古い株や枯れ草を燃(*)きはらい

その焔がおさまって山がすっかり冷えた時

そのあとへみずみずしい苗を植えるのだ

 

山々にかこまれて私はもう都会の誰からも見えなくなり

都会の磁気はいまや私を圏外にして空しくはばたいている

船出した都会へは再び帰らなくていいのだ

私の孤独や悩みはあり得ないものに属し

さるとりいばらや枯れ羊歯の線条と等しく

早春の山のうす煙となって自意識は透明な風の中を渦巻き去るのだ

 

                    (*)「燃」は原文のまま


「我を忘れて」

 我を忘れて暮らすこと

それができるかできないか。

悲しみに声かすれる事も

好きな本をただ一晩で読む事も

橋のない所をまっすぐに歩いていって

向こう岸へまっすぐ着けるかどうか。

それさえ考えず、読みさしの本が濡れずに着けるかどうか

それがすべてだ。

年とったとか、日が暮れたとか、

そんなこと忘れてくらせるかどうか

それがすべてだ。

 


「一升枡で」

一升枡で米や麦を量るのに、一升あればよいのではない。

うんと山盛りにしておいて水平にスキッとはらう。

それは詩の方法でもある。

事実に正しくとだけ願っていては米は量れない。

山盛りをみて人はオーバーだとか虚妄だとかそしる。

その盛リ過ぎなしに詩がまちがいなく本心をとどける事は困難である。


 

 

 

「唇の釘」

唇のわきには小さな釘がしかけてあるので

文楽の女形人形はそこへ袖口をひっかけて

いつもよよとばかりに泣きしづむ

雨にぬれた葉草のようにみよもあらずぺちゃぺちゃに

 

本当の人間であればそうした釘はないから

自分の歯で

泣くまいとこらえて力一杯噛みしめる

 

戦地から帰る善の夫のため新しい布団を

四十数年 新しいままにしまっておいたおばあさんもいた。

布団ばかりじゃなく袖も手拭きも

泣き声出さぬためのかんぬきになるのです。

 

自分の心を出し切れず

無理無体に大事な者をとられて

泣くな女よ

泣くな泣くな女よ

 

乳児の時の歯がほろりと欠け落ちるように

私らの唇のわきの釘は

もうなくなるのがいいのだ

 

世の中にはたくさんの言葉が山とあるのに

どれ一つ自分の心につながないということがあろうか

コンセントを探せ そして理不尽な世の中へはっきり云え

私らは愛する者と生きたいのですと

 

自由が来たように

釘はいらぬようにみせかけて

やはり聞こえてくるおどし文句

まだ涙はふききれぬのに

遠い親と子は探しあっているのに、、、

 

物云うための唇だ

唇は寒くあってはならない

噛みしめるためにありはしない

お主のために泣いたり

家や世間のためにしばられたり

いつもいつも唇のわきの釘が必要だった

花かんざしをふるわしたり

白い襟足をみせて泣いた

泣くに慣れるな日本の女

 

今はもうそれがすんだと云うならば

本当のよろこびは来たのか

理不尽はもう絶対にしないとでも云うのか?

私らの望みはもうすぐ実現するとでも云うのか?