「第三芸術」

                         流れる髪  短章集2   思潮社


                                新田山

 

    私が廻りトの田で麦の中耕をしている時、日は傾き、新田山のかげは次第に

   私の方へ迫って来た。心はあせり、嚙みきれぬ骨と戦う犬のように畝の長さを

   もてあつかっている時、通りかかったヤスさんが身軽に私の田へ入って来て、

   私の鍬をとって代りに土を打ってくれた。一打ちで土はこまかく柔かに砂糖の

   ようになり、二しゃくい、それは定規でさしたように美しく搔きあげられた。

    みるみるうちに畝と畝の間は整然とととのえられ、麦の根元には空気をふく

   んだ土の微粒がふうわりと盛られた。

    宮沢賢治の「第三芸術」にも同じ経験が書かれているが、都会の人が読んで

   も多分何の事もないであろう。私はその時の賢治と同じく茫然とたたずんでい

   た自分を思い、ヤスさんのかぶっていた白い手拭、紺の手甲を思い、

 

     わたしはまるで恍惚として

     うごくも云うもできなかった。

     どんな水墨の筆触が、

     どういう彫塑家の鑿のかおりが、

     これに対して勝るであろうと考えた。

                (「春と修羅」第四) 

 

    と全く同じ気持であった。

    人々のやさしさにかばわれて、わが百姓が成り立っていた日々のことを私は

   思う。その時 村に農業について、私より未熟な人はなく、田や作物について、

   私より物知らぬ者はいなかったのだーー。